ゲド戦記の感想

舞台挨拶は、監督と、鈴木プロデューサー。進行に、日テレ、博報堂の方。
という感じだった。どうせならと、前から二番目の席の左端に座っていたので、映画は見にくかったけど、
イベント自体は近くで見れた。
たしかに宮崎吾郎監督は、けっこうイケメンだった。本人は頭がでかいをネタにされていたが。
けっこう辛らつな性格らしく(笑)、「ベネチアで押井監督とは会いたくないですねー」「会ったら橋の上から落としたいですねえ」
とか冗談を飛ばしていた。


初監督だし、いままでアニメの原画を描いてたわけでも、漫画家でも、作家でもなかったわけで、
映画を遅延なく完成させられただけでも凄いのかもしれない。監督は多人数をまとめる仕事と考えれば。
いつまでたっても映画を完成させられないで、お蔵入りなんてすることもありますしね。


しかし、映画の方は、端的に行って「早く終わらないかなあ」とかなり見てて苦痛だった。
下敷きとして、シュナの旅をつかってるらしい。そのへんは雑誌でも読んだ。
ゲド戦記を原作にしてるけど、本筋のストーリーラインが浮かばない。悩んでいた時期に、宮崎駿が、
シュナの旅を下敷きに作ったらいいんじゃないか? とアドバイスをしたそうなのだ。
実は、私は「シュナの旅」が大好きです。
簡単に言うと、不作に悩まされていた村の若者が、黄金の種を求めて、旅に出る。
旅の途中で、人買い(奴隷商人)から少女を助ける。その少女といっしょにシュナは旅を続ける。
というストーリーライン。
このへんは自分も利用して小説にして新人賞に投稿したこともある。


宮崎駿ナウシカもそうだけど、彼の作品の好きなところは、貴族と平民の描き分けがすごく上手いと思う。
搾取し、身勝手、自己中心、ただの血の継承にすぎない貴族だけど、
でも、ナウシカクシャナには、平民の持たない何かを感じさせられる。
見ているものが違う感じ。コスモポリタンといってもいいかもしれない。
一般的に、貴族は、民衆を苦しめる馬鹿とか、単にいい暮らしをしている金持ちとして、日本では描かれることが多い。
身分違いの恋も多い、たとえばエマもそうだった。
でも、クシャナは、明らかに次元の違うところでものを考え、行動している。彼女を慕う兵隊たちは、それがわかっている。
同じものを、自分はカリオストロの城での、銭形警部と機動隊の隊員たちにも見た。


ゲド戦記は、かなりの部分を「台詞で説明しようしている」
やりたいことは解るのだけど、それでは、登場人物にまったく感情移入ができない。裏が読めない。
涙を流すから悲しいのではない。悲しければ、泣かないでも解るのである。
唯一救われたのは、テルーが可愛かった。今風に言えばツンデレキャラかもしれないが、
宮崎アニメの場合、ヒロインにツンデレは少ないが(たとえばラナなんかはツンがまったく無い)
未来少年コナンモンスリーなんかはかなりツンデレと思われる。
魔女の宅急便のキキなんかも、考えてみればツンデレだ。しかも不安定な性格が年頃的にもマッチしていた。


とにかく色々と言いたいことはあるけれど、ゲド戦記は、考えてることはかなり宮崎アニメと近い。
監督が宮崎アニメのようなものを作りたいと思っていたと書いていたので、ある意味、宮崎アニメパロディかもしれない。
大きく違うのは、主人公が「うじうじとした軟弱もの」ある意味、アムロのような感じがする。
今風かもしれないが、何かあると「キレル」。よくわからない不安におびえている。
最後まで見ると、なんのためにいたキャラなのかよくわからない。
文句を言い出すときりが無いのでやめますが、


光と闇。生と死。虚無。そのへんのテーマは、ナウシカとも同一なのだけど、しかし、ぺらぺらと台詞で説明されても、
エッセーじゃないんだから……。
しかし、最後の最後は、少し、爽快だった。そこは救われた気がした。
ネームバリューがあるから、客は入るだろうけど、家族連れにはかなりお勧めできない。
しかし、台詞で説明するわかりやすさは、逆に「人生の深いテーマを感じた」みたいなバカにはかえって評価されるかもしれない。
興行成績はどうなるかはわからないけど。
そういえば、空間デザインをしていたので、監督は建物とかの空間配置はすごく的確らしい。


舞台挨拶があったので、前列の席は、6人ぐらいで横断幕を作っていた。おまけに花束まで持ってきていた。
どういうファンか解らないが。まさかサクラでもないでしょうし。
しかし、エンドクレジットが終わって、帰るとき、その横断幕を持ってきている人たちの中にもあくびをしている人がいた(笑
もちろん2時過ぎですが。
拍手は起こったけど、自分はしなかった。