イノセンス評論 東浩紀 SFJapan VOL9
載ってました。
うる星2のビューティフルドリーマーで見せたメタフィクション、すなわち物語ることの不可能性に対する挑戦みたいな態度と、
パトレイバーでの、そこにエンタメを組み込んでくる方向性があり、
それを踏まえて悩んだ末の、現在の押井守の結論が
イノセンスであると。
それは確かにそうだと思います。
では、その解答は何か。
物語としては非常に単純であると。そうですね。粗筋にしたら数行で済むでしょう。
それとは別にバトーやらの葛藤の説明がある。
問題は、その葛藤が話とはなにも絡んでない。
今までの物語不可能性の悩みはどこへ行ってしまったのか、
ぶっちゃけて書くと、「10年か20年たたないと、私には判りません」と東さんは書いていた。
それを直訳すると、「何が面白いのかさぱーりわかりません。この映画。20年ぐらいしたら私にも判るかもしれません←ちなみに皮肉です」
ってことでしょう。
(誰も巨匠に文句を言えない状況での精一杯の批判?)
大森望さんもポストサイバーパンクの系譜って感じでコメント書いてましたが、
「これは○○からこれは○○からこれは○○からこれは○○からこれは○○からこれは○○から」
って書いてるだけなんですが、
>ブレードランナーの呪縛を乗り越え
どこが乗り越えてるのかなあ?
二十年たたないと解らないのかなあ。
上記の東さんは結局、
イノセンスだけを見て評価しないで、見てない人はパトレイバーとうる星2をぜひ見てくださいと書いてましたが、
わたしもイノセンスが、物語の呪縛を乗り越えてるとは思えません。
>ポストサイバーパンク時代に突入か?
なんで、
どこがポストサイバーパンク時代なんでしょうか。
さぱーり解りません。