マルドゥック・スクランブル 圧縮 沖方丁(早川JA文庫)

 いやあいまさら読んでます(^^;)
 もう黙殺しようかと思ったんですが、日本SF大賞ですもんね。
 しかし、これって面白い?
 なにが面白いんだろうかと。


 なんというか、ギブスンとかのサイバーパンクって感じで、別に新しさは感じなかったのですが。
 小説力というか文章力は、普通のラノベ作家の筆力は大きく上回っているのは
確かと思うんですが、
 いわゆるサイバーパンク的な言い回しの積み重ねが、局所的には意味が発生しているのだけど、
 大きなスパンで見ると「なにも意味が無い」ただただもってまわった「いい回し」に過ぎないのではないか? と思うのです。
 SFとしてみても、別にこの作家は理系でもないので、科学知識とか前提で書いてるように見えないし、
 そのくせに電流とか回路とかそういう言葉が、過剰な化粧回しとしてしか見えませんでした。
 哲学的な問答にしても、「ファッション」のような感じで、そもそも作家自身が、その手の問題に問題意識を持っているとはあまり思えない。
 サイバーパンク的なファッション描写と同じレベルでの、問答に見えて仕方がなかったです。
 そのへんの過剰な(そして意味が無い)表現をとりさったら、何が残るのか? と考えると自分にとっては、何も残らない小説と思いました。


 神林長平と比較して神林は「情報」、沖方は「認知」を問題にしていると書いている感想サイトがあったんですが、
 強引に考えると、「認知」というと本当に表層という気がしてならない。神林を持ち出すならディックと考えると、
 ディックはむしろまったく逆で、過剰な表現が全く無いのですよ。そして展開や人物の立場に、トリックというか逆説をしかけてくる。
 なので、局所的には単純な文章が並ぶことになりますが、全体を通して強力な展開がある。そこがディックがミステリとしても面白く読めるところであり、
 映画化の作品としても美味しいところと思う。逆に言うと描写や表現のレベルで逆説や過剰が無いので、SF畑以外の、文学畑ではディックは大成しなかった(のだと自分は思う)
 そういう意味では、この小説は、文学的な感じがするのですが、ディックのような「認識を巡る逆説」までは感じられないし、
 科学知識的にはファッションをまとってるだけに見えてしまいました。
 結論を言えば、日本SF大賞をとってる偉大な作品ですが、自分には合いませんでした。