狙った作品から狙わない作品へ

http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000057.html

>「媚びられている」ということは同時にオタクが「見透かされている」ということでもあるわけ

 明快ですね。納得です。


 これはArtifactの
「オタクはキャラ情報の効率的摂取を求める」
http://artifact-jp.com/mt/archives/200401/otakucharainfo.html

>この考えを推し進めていくと「バーチャルアイドル」というものができあがる訳ですが、商業ベースで成功したシロモノはほとんどなく、死屍累々です。

 って所ともリンクしてますね。
 すべてのキャラがバーチャルアイドルなのに、
 初めからバーチャルアイドルでは失敗する。


 それは客が「見透かされて」拒否反応を示しているんでしょうね(^^;)


 よーするに、天然が良いということで。
 純愛を求める心理は、作品にも、作者にも純粋を求める。
 無理に萌えているというより、無理に萌えさせられるのを拒否しているんだと思います。
 そういう意味で、
「男性が直球、純愛路線に傾斜しているのは、意識的に行っている結果」なので、
 その現象だけを指して、「弱体化とか女性化」というのは「的外れ」ということになりますね。
 ある意味、自己判断で愛する作品や対象を決めようという意識になると思いますので。


 ということは、女性と男性の好みの差はなんでしょう。

男性のジャンルが衰退しているのは、「作品そのもの」ではなくて、
「見透かしてない作品」を選択的に「探して萌える」という現象なのであれば、
それは「あくまで個人個人の問題になるので、全体で大きなムーブメントができるわけがない」
(作品ではなくて、自分から見た作品の印象で好みが決まるわけですから)


 一方、女性は「明確に核ができる」(時間で入れ替わることはあっても)
これは、市場としては男性より、女性市場が強いって言い方はできるけど、
個人個人で考えると、
好みが「画一化」して、自分が無い」ように見えます。
 男性の好みの方が、より深い、進んだ状態にあると思えてしまいます。
 男性は女性より進んでいるのでしょうか?
 それともまったく異質なのでしょうか。
 女性は「見透かされる」こと「見透かすこと」を「共に喜んでいるのかな?」(個人的には受けとか攻めとかって積木遊びみたいでレベル低いと思う)
 ちょっとよく判らないですが。


>そういうテーマを扱った若い男性の小説は文学的評価をされず、女子高生や若い女性の書いた小説のほうが受けがいいという傾向が最近顕著になっている

 今回の芥川賞はダメなのかも(^^;)