「マルチメディア」西垣通・岩波新書1994

 ちと古い本だが、この人は「思考機械」って本もちくま学芸文庫から出ていてそっちも読んでるが、この新書の方が面白かった。

>GUIエンゲルバートが研究開発したもの(そのデモをアラン・ケイが見て惚れ込んだ)
 そうだったんかあ。
 いや、GUIといえば、パロアルト研究所でそれをappleがパクったと思ってたら、アラン・ケイもぱくってたのか。
 

>ハイパーメディアで仮定している個人とはミニ神様であり、
 ようするに理性的な個人という仮定で、共同して作業するものではないって感じ。
 当時は、wikiはないわけで、この思考の反対にwikiがある。逆に言うと先見性がある。


>身体があって、その一部として脳があるわけで、逆ではない。脳は通信制御センターにすぎない
 これはけっこう衝撃を受けた。自分はかなり唯脳論で考える立場だったけど、
 考えてみると、
 「可愛い女の子の顔」がそこにあって、「それを見ている私の眼球」があって、「可愛い」と感じる「僕の脳がある」わけだけど、
 つい仮想現実的に「数値化された映像」を解釈している脳が中心と考えてしまうが、
 実は「可愛い女の子の顔とそれを見ている眼球」がまずあってそれがメインであって、「脳はそれを確認しているにすぎない」


 ま、当たり前といえば当たり前だ。「お前いまさら何を言ってる」と思う人は多いだろうけど、
 これはけっこう自分としては価値の転倒を受けた。
 「真理」とか「本音」とか「真心」とか「愛」とか考えるので、「脳を中心にしてしまう」わけで、
 実際は「身体としての感覚器官」とか「観察対象」があっての話でそれがメインなのだ。
 これは「考えかた」というか「立場の違い」にも近いので、「好きなように思ってもいい側面があるけれど」
 本文を読んでも、けっこう見方に揺さぶりを受けた。