りなもさん(ステルヴィアの表現について)

http://www.asahi-net.or.jp/~RG8S-SZK/hobby/NIKKI/2003/200306.html#2053_1

>「突っ立っている」という印象を強くするのは、しーぽん&光太のインフィー搭乗シーンと、外(宇宙)が見えないという「設定」のオーバビスマシンの操縦シーンが大きい。
>このへんも難しいところで、多くのロボットアニメやキッズアニメベイブレードのように、ロボットやコマと一体になった主人公をオーバーアクションと大仰なセリフで演技させれば、
>視聴者には分かりやすいしキャラに感情移入しやすくなるけど、
>それが「リアル」なのかと問われると、「リアル」とは掛け離れたものであると言わざるを得ない。


 おっしゃられたいことは判ります(と思います)。
 「立って運転する」ということや、外が見えない、キーボード操作みたいなのは「科学的な事情」みたいなのを前面に出したところはあると思います。
(アポロの月面着陸船も立って運転してたそうで。以前見た、Mondo21の平成オタク談義で岡田さんと唐沢さんが言ってました)


 外が見えないことは、米軍のジェット戦闘機の研究でも、ある程度高速な戦闘では、『外を見ても人間にとっては意味が無い』ので、コンピュータで解析した映像だけをみて、状況判断した方が良い。という研究が行われているようです(スカパーのディスカバリチャンネルで見た話)


 ただ、そのSFの設定のために、「ドラマ性が犠牲になっている」という批判は、「物語である以上」当然だと思います。


 それはリアルかどうかより、ドラマティックかどうかということではと。


>だからと言って、しーぽんタッチタイピングをいくら見せられてもへーえと言うか「違う時代に生まれていたら珠算コンクールの全国大会で優勝して町内会のお嫁さんにしたい候補ナンバーワンになれるじゃないか」「ワープロ検定楽勝だね」という程度の感想しか出てこない。


 自分も「あのプログラム」がちょっと「うーん」って思いました。
 あれって、けっきょく「わけわかんないプログラム」で「あれが上手くできる」ことが「なんで操縦が上手いに繋がるのか」正直よく判りません。
 「プログラムの天才」を表現するための「比喩にすぎない」よなと思って、見てました。(視聴者に判りやすくするための)

 しーぽんの『バグがまったく存在して無い!』
 このへんもロマンというか、『プログラマ的には、おぉ! 神さまっ!』とか、
 しーぽんを思わず崇めたくなる要素でした(w



 「ふゆやすみ」はまだ見てないのでこれから見てみます。