「AIが生み出すドラマ」こそ、ゲームとして評論すべきゲームとしてのドラマじゃまいか

http://artifact-jp.com/2008/05/10/ai_gamerealism/

以前のエントリーで、ギャルゲーが評論として取り上げられたのは、ゲームというよりは、その物語の部分にある
という話があって、なるほどな自分は思ったんですが、

世の中には、良いシナリオのゲームは多々あるが、それらをプレイした時の感情は、ゲーム以外の媒体、小説などでも再現できる類のものだ。

こんへんを読んで、かなり確信しましたね。
ドラクエも含めて、ドラクエが面白いのは、シナリオとしてのおもしろさであって、純粋にゲームとしてのおもしろさじゃない。
これは、分岐が出来る小説やアニメやドラマがあれば、再現できる。
ゲーム中の行動を微分して考えれば、そこにあるのは、シナリオとしての面白さ。
ゲームとして面白いわけじゃない。
(これは別にドラクエが面白くないと言ってるわけでは全然無い)



これはゲームをやっていて面白いという感情が、「本当にゲームだからか?」という懐疑だと思うんですが、
突き詰めれば、人間の優しさに触れたとき、それが「本当に人間の優しさに起因するモノか?」という懐疑を
P.K.Dickは背負っていたと思う。電気羊を愛する感情、アンドロイドを愛する感情、愛する家族がいつのまにか異星人に変わっていて気づかなかった自分。例え異星人の化け物でも、さっきパンを取ってくれた優しさは「本物ではないのか?」という懐疑。




この「天国から来た男」というのは、

テキストベースの『ガンパレードマーチ』といえば、わかりやすいだろうか。

のような感じらしい。
ローグのように、ダンジョンが自動生成されるものはある。キャラクターもNPCっぽく動いているかもしれない。
それはパックマンのモンスターが勝手に動いているのに大差はないと思う。


自分が『ガンパレードマーチ』に衝撃を受けたのは、主人公を巡る争奪戦に、
夜中の公園を徘徊し、他の生徒をストーカーしている生徒や、深夜の公園で鉄棒をしているAIのもの悲しさに
驚くべきドラマを感じた。宇宙と言ってもいいかもしれない。
それは、シナリオベースのゲームでは決して味わえない。
シナリオベースのゲームは、予定調和をなぞっているにすぎない。

テキストベースでAIを利用したゲームが出て欲しいものだ。TPSだと開発コストが高いけど、テキストベースなら、開発コストを下げられるだろうから、開発しやすいんじゃないかと。

 コナミの「ときめきメモリアル」みたいなのが、AIジェネレートドラマとして進化してほしい……
 ただ、最近は絵がないと受けない?
 一方で、携帯小説は流行っている模様。ただ、単純に泣きたくて読んでいるらしい。
 このへんは、AIが生み出すリアルタイムドラマによるゲーム性をニーズが必ずしもマッチするのか疑問に思う。
 そういえば、星新一ショートショートが売れてるらしい。意外に。
 お笑いブームでも判るけど、世の中は、暇つぶしにショートショートを求めている。電車の中で消費できるような
 そのくせ、ショートショートブームは来そうもない。
 TVで芸人が演じているのは、ショートショートのような気がする。



AIエンジンによるNPCの行動も、所詮はプログラムだろ?と思われるかもしれない。
しかし、キャラクターの相互作用によっては、元々の仕組みが単純でも、莫大な多様性が生まれる。それはカオス。


8ビットパソコンの頃はZORKというテキストベースのAIっぽいゲームがあった(勘違い。別にAIではなく普通にテキストアドベンチャー)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%82%AF
プレイしたことがないので判らなかったけど、別にAI的にシナリオ自動生成ではないのかもしれない。



コンピュータ将棋がアマチュアトップに勝ったことで、つまらないと思っている将棋ファンも多いかもしれない。
でも、自分がモチベーションを持っているのは、
AIによって能動的に、ゲームとしてのドラマが、リアルタイムに作られている「ゲーム性」です。
私は別に将棋そのものに興味があるわけではないですし。


そういえば、GPWを主催しているのは「ゲーム情報学」という分野らしいのですが、
このへんを考えている人はあまりいないんじゃないかと思う。
少なくとも
東さんのような思想評論的な人は、ゲームをやる人間の思想の遷移、言い換えれば、人間を研究しているのであって、
人間を排除した、ゲームそのものを研究しているわけではないと思う。
(ただ、ゲームを面白いとか面白くないと評価できるのは、人間のような知的生命だけであって、それは物理現象というより、情報に属するものと思うけど、それは、必ずしも人間が評価することが必須ではないと思う)



Winzardyのキャラクターたちにめちゃくちゃ愛着がわくのは、彼らとの冒険が、シナリオベースではないからだと思う。
Winzardyにもシナリオはあるけど、ものすごく少ない。
ゲームとしての楽しみは、モンスターを倒して経験値を稼ぎ、宝箱を空けて、階段を下って、よりダンジョンの深部に迫った
キャラクター達との冒険の思い出にある。
なぜ楽しかったのか? 宝箱をあけて毒に感染した盗賊を庇って、モンスターに会わないか?ドキドキしながら戻った緊張感。
システムが作り出した、自分だけのドラマに、我々は感動したんじゃないか?
それは、皆で共有できるドラマじゃない。自分しか体験してないドラマだから。
でも、そこには、なにか特別な感情があったのだろうと思う。