涼宮ハルヒと動物化する世界の関係

上記のQMAサイトは、
涼宮ハルヒも応援されてる模様。
やっぱり角川スニーカー大賞の審査委員は、見識があったと言うべきなんでしょうかねえ?
正直、ここまでヒットするとは思ってませんでした。
オタクネタを、確信犯的に使用する、自己言及する。
という点は思ったんです。
あと、ハルヒの性格が、実は、従来に無い斬新なものだった。というのはあると思う。
基本的に、ギャルゲーモデルのへたれ主人公は、読者に置き換えられるために、
むしろ無色透明な存在であるはずと思うけど、ヒロインは、当然、擬似恋愛の対象で、
内気な娘、勝気な娘、という感じで、個々の好みで選べる(綾波とかアスカとか)
このへんは、多人数の娘をそろえて選んでもらう、モー娘。システムも同じと思うんですが、
ハルヒは、恋愛対象というより、
指導者なのかもしれない。
大きな物語が消滅して、政治家も宗教家も、擬似的に作られた大きな物語の指導者に過ぎない。
そういう意味で、ハルヒはただの勝気な娘ではなくて、
現代人に、目標や、価値観を与えてくれる、指導者、大きな物語を生み出すシステムなのではないか?


今、「動物化する世界の中で」東浩紀笠井潔集英社新書)を読んでるんですが、
動物化すると、個々の人々は、孤立するわけですよ。閉じているから。
でも、大きな物語が崩壊した現代に、
擬似的に、大きな物語を生み出すシステムを作り出し、その中で、個々の人たちがつながっていくことはできるのかもしれない?
今までも、オタク同士が、ここの趣味を互いに言及する交流は可能だったと思うけど、
それは、まさに「相手をオタクは」と呼ぶ、互いに孤立したままの、擬似交流にすぎなかったけど、
ハルヒという、指導者を介することで、
集団で動物化できれば、それは、もはや従来の個々で閉じた動物化ではなくて、
グループでの動物化と呼べるかもしれない。
それは、もう動物化ではないのではないか。
結局、小泉総理でも、麻原でも、ホリエモンでもいいけど、指導者を信じることで、
大きな物語は生み出されるし、
結局、ダ・ヴィントコードにしても、キリストという指導者を信じるか否か?で、
キリスト教という擬似的な大きな物語を集団で信じている動物化した人たち=信者が生み出されるだけで、
それは、歴史と人数という規模が違うだけではないだろうか。