Fateの三話

見ました。東京MXだけどOPも超額縁でしたね。まあいいですけど。
今回は世界観の説明なのでせりふが長かったですが、セイバーの戦闘シーンもあっていいですね。
FATE/stay nightの体験版もTYPE MOONでダウンロードして遊んでみました。



ふと思いついたので4コママンガにしてみました。
が、こんなヘタレ絵でも数時間かかりました。
絵で表現するって大変ですね(^^;
字だけで済む小説って楽カモ



以前、空の境界も途中まで読んだけど、
「世界なんてとっくにわたしのもんじゃない」
みたいな台詞にこの作家の価値観が凝縮されてるでしょうね。
強い魔力を持ってるからすでに世界は自分の手の中にあるとかじゃなくて、
要するに自分の中心にもともと世界はある。
要するに、現象論のような価値観に思えます。
自分が死ねば自分にとって世界は終わるわけだし、そういう意味では世界は自分を中心に存在している。
自分たちが頑張れば世界を動かしていけるって考え方がモダンだとしたら、
頑張って世界は動かせないという諦めを、自分=世界ととらえることですりかえるような心の動きを、自分はセカイ系なんじゃないかと思うんですが、
しかし、それも不況だからだったような気もするんです。
もし、給与とか増えて、好きなことにお金が使えるようになって、物理的にも精神的にも豊かかになれば、自分=世界だなんてごじつけなくても良くなるはずで。


格差が広がれば、絶対的には豊かでも、相対的に豊かさからは遠ざかるうわけで。
ホリエモンの事件も、若い人が年寄りとかの築き上げてきた経済界を手玉にとる面白さがあったと思う。
たとえば新進の小さな会社が、TV局を乗っ取ろうとするのは、小さな力士が巨大な横綱をひっくり返すような日本人好みの面白さがあったと思うし。
けっきょく粉飾とか虚構で片付けられそうだけど、
虚構を使って、自分=世界をこじつけることが、ホリエモンがやったことかなと思うと、彼もセカイ系だったのかもしれないとか思ったりもするけど。
サーヴァントには戦う理由が無いらしい。戦うために戦う。戦いに参加することが等価交換になるらしい。
いっぽうで、マスター側にも聖杯を手に入れてやりたいこともないらしい。世界征服も面倒なだけらしいし。


でも問題は金の問題じゃなくて、立ち位置の問題。たとえば大家族だったり、近所づきあいあれば、自分の存在位置に悩む必要も無い。
自分と世界の社会はシームレスにつながってる。社会が喪失した社会に問題の根っこはあるはずで。
それは決して不況なのではなく、世の中の変化の問題か。
都市化はなにも日本だけじゃなく、近代性が進めばどこでも普遍に思う。
封建主義や共産主義の反対側に、個人主義というか、ばらばらの個人を結びつけるものが、国家だけの世界があるとすれば、
セカイ系は、ただ無責任に社会を消してみせたわけじゃなくて、それが正しい現在の世界ではないのか。今の世の中に社会があるかのごとく語るのがそもそも幻想で、虚構で。