銀色の髪のアギト

GONZOと、メディアファクトリーと松竹の製作のアニメ。公開中。
仕事の関係でタダ券を二枚もらったので、MUGIさんと見てきました。
新宿のミラノ座。


別に感想は書くまでもないけれど、ちょっと書きたいこともあるのでちょこっと。


宮崎アニメをインスパイヤしまくり!
いや、ぱくりとか言ってるわけじゃなくて、好きだからその要素を使うのなら、
それはそれでほほえましいかもしれないが、
少なくとも商業作品でしょう‥‥
STARWARSが黒澤映画からインスパイヤのような換骨奪取ならともかく、
ちょっと、というかかなり情けないと思うのだけど。
しかも、宮崎アニメの心情をぜんぜん理解しない、表面だけの模倣に思えた。


森が人を襲う。いいじゃないか。それなら、森を悪人として、徹底的に皮肉に描けばいいじゃないか。
森は植物であり、自然であり、人間と対比する存在と描くなら、
なぜ、森を擬人化して、人のようなものを出すのだ?
もののけ姫を思い出して欲しい。シシ神や、人語を話す狼はいたが、かれらは人としては描かれない。
とくにシシ神はまったく人の言葉を話さないではないか?
だからこそ、彼らは神であり、森として、人と対比できるのではないか?
ナウシカ王蟲にしても、テレパシーで意思はつたえても、けっして言葉は話さない。
森の人は人間であって、けっして蟲ではない。森で生きることを選んだだけであって、森ではないのである。
人を森として出すことは、人間至上主義の傲慢だし、上記の森と人を対比させる気持ちがまったく判ってないと思う。
アキラのような、強化人間と人間の戦いならそれでもいいが、表面上、「森と人の接点」といったテーマをちらつかせるなら、
そもそも「森とは何か?」を考えて欲しい。見かけが植物だから森なのではないはずだ。
植物が動いてもいい、人を襲ってもいい。でも、なぜ植物は「進化」したその先が人でないといけないのか?
蟲愛ずる姫の「価値観」を大事にして欲しい。インスパイアするならば。
コミックでナウシカが最終的にとった結末は、苦渋の選択だと思う。苦悩の選択。


キャラクターもドラマも、目的も、結末も、解決も、すべてが首をひねるような話だった。
CGをなじませずに前面に出す部分も含めて、奇形だと思う。もうちょっと内容に気を使ったらいいのに。映画なんだから‥‥。

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060109#p1
アギトの感想を読んだ。
たしかにな〜。突出して凡庸。そうかもしれない。
しかし、ここであげられているような、他の作品は、監督色というか
作家性の上に作られてるけど、そのへんの統一性、作家性が無いから、
フラットなのかもな。そういえばスーパーフラットとか言ってる人がいたな(笑
つまらないとさえ言えないつまらなさ。恐ろしい。これほどの恐ろしさがかつてあっただろうか。
しかし、GONZOをすべて否定してしまうのも‥‥と思って思い浮かべると、


フルメタルパニック(初代)これはGONZOだったよね?
 まあまあ良かったと思うよ。海の中の潜水艦とかGONZOらしいし。
ガトガードもそうだったかな? 絶対に見えないあらしたんのスカートにはみんな萌えたんじゃなかったかな? 蒸気探偵団みたいだったけど。
あと、ヘルシング。これは結末が捏造で、ファンは怒ってた人をよく見たけど、自分はそこそこ好きだったけど。OPもかっこよかったし。
逆にサムライ7はひどかった。縦に移動する技術多用で、アギトの似てるような気もするけど、多国籍な感じも。
 なんというか、クレーンとか歯車とかCGで動いてるシーンがGONZOって好きなのかな?
 今のGONZOのサイトもそういう映像ですよね。
 映画とか作品以前に、アニメートする喜びを表現してるのだろうか。3DCGの。