百合が受ける背景

http://head.as.wakwak.ne.jp/games/
エロチック街道さんより


 このへんの話は打ち切るつもりだったんですが、
 うまくまとまってると思うんで、ちと反応。


>むしろオタク的作品群の一部はマリみて的になりつつあった、それを受け入れる下地が醸成されていた、と考えた方が感覚的には自然なんだけど


 そのへんの感じで自分も同意です。「男性の好みの純愛化」とか「直球への回帰」とか、既に下地ができていたって感じがします。


>感情移入する上でも、どうせなら女性がいい(ネットゲーでキャラ作るなら女性がいいな、と同じような感覚で)ということもありそうだと思うのですが。
>もっと乱暴に言えば、どうせ逃避するなら現実の自分につながる男性性すら排除したい。


 そうそう。むしろハーレムマンガとかの男の主人公がもはや邪魔なんだと思います。
 なんで「百合が好きなの?」と女性に聞かれれば「男は汚いから」って答えられると思うんですよ。(そういう意味で、女性のやおい好きの方が、複雑でよくわからないところがあります)


>そもそも、仮に無理矢理であってもなあ、長く盛り上がってるやつだって。
>硬貨たんやカルタンとかは確かにほどなくして収束していきましたが、いまでもビスケたん、描かれてますしね。ビスケを萌えとする無理矢理さ加減はマリみてより数段レベル高いと思うのだけど。


 ここがですね。たしかにビスケたんとかの方が、「無理やり」に見えるんですが、
 よく別けてみると、

  • ビスケたん(など)→対象が無理やり→存在が無理やりキメラ←
  • マリみて→作者の意図とか元もとの作品的なターゲットとの関係が離れている←上記の「熟成されてきた下地」とマリみてが結果的に結びついた


 前者は合体させることが無理やりで、(むしろ二次元が好きの延長線上)
 後者は、作者の元もとの意図(そんなものは誰にもわからないことは判った上で使います)と、それを(下地熟成された結果)「愛してしまった」読者との間に「無理を埋めてしまった無理」を感じるのです。


 (これはやはり質的に違う無理と思うので、絶対値をとって数的に評価してビスケたんも無理だよって言い方はちょっと違うんではないかと)