まいじゃー推進委員会
お久しぶりです。
>「うーん。どこまで行っても本質的にはマンガと小説は別なものだと思うですよ。
>例えばARIA→bk1、→amazonやBLAME!→bk1、→amazonは絶対に小説では表現できないし、
>逆に真世の王→bk1、→amazonや、イリヤの空、UFOの夏→bk1、→amazonなどは小説ならではの表現力を発揮します。
>両者の融合という意味では都市シリーズ→bk1、→amazonが各種の試みを行っていますが……
>そもそも小説読みがマンガを読むことは普通にあっても、その逆はかなり少ないと思われますね」
別にマンガとラノベが同じになるとかいうことはまったく主張して無いのですが。
神様視点で見たときに「マンガと小説」が分類上異なることは「当たり前」で「むしろそう思わない人が少ない」でしょう。
本質もなににも、表面上から違います。表現方法が。(むしろ本質という言い方をすると本質は創作行為ですから同じかもしれません)
わたしが言いたいのは、
「中高生が限られたお小遣いをつかってなにを買うかという選択において」
「ゲームかマンガか、アニメか、ラノベか」という選択があって、
その同じ土俵で選択されることを戦ううえで、ラノベは「なにを武器として主張できるか」です。
お小遣いの消費相手として同列にあると言いたかったのです。
現実に、ラノベ板では「常に、マンガの方が面白い。マンガ>>>>ラノベといった攻撃があります」
そして「文学>>>>ラノベ」のような攻撃もあります。
(最前線の文化は攻撃されると思ってるので、それはいいことですが)
秋山さんは「たしかに小説ならではの表現方法を追求している」と思います。「文体ともあいまって活字だから小説だから面白い」という表現を追及することで、
「マンガやアニメ、ゲームとは別に、小説表現の面白さ」を読者にしめしているように見えます。
(でも、そんなことは文学とかですでに永延と昔から追及されていることで、別に新しいことではない)
小説しか、とかマンガでしか表現できないという言い方は、もっともに聞こえますけど、
「山田さん(仮)しか表現できない作品」とか「鈴木さん(仮)しか表現できない作品」という言い方もできる。
あと秋山さん「小説ならではの表現を追及しつつ」「あとがきでラノベのイラストは大事です」と強く主張していました。
「むしろそれは当たり前」で「わざわざ主張している」ところが「裏を見てしまう」わけですが(E.G.コンバット3rd)