モンド研究所・平成オタク談義「海洋堂」
むかしの歴史的な話など「ぜんぜん売れてないころ」前編
食玩ではじけた後編
プラモ屋といえば文房具屋のできそこないみたいな店が多いので、「ならおれは」みたいな感じで、ホビー館みたいなスタンスで生まれる。
プラモは珍しいこともあり楽な商売と言われたが、当時から海洋堂は経営がかたむいていた。
戦艦用プールやレース場などを作ったが、子供が遊びに来ず(笑
その後、もちこまれた原型でよいものはかたどりをして売っていたところ、梁山泊のように人が集まるようになる。
(ボーメ氏や、山口氏のコメントをはさみながら進行)
エヴァブームで、レジンが3000個売れて、従来の10倍に成長(エヴァブームでもたったの3000個ですよねと岡田さんの突っ込み入る)
その後、バカにしていたアメちゃん(USA)のアクションフィギュアを「悪意をこめて」真似をしてみたら、
北斗の拳やらデビルマンが三万個売れて、市場がさらに10倍。(悪意で作ってたんですか?と岡田さんや唐沢さんからつっこみはいる)
(レジンでは型をつくっても50個しかキットがとれない。しかし、アクションフィギュアはFAXすれば、二ヵ月後に中国から2万個ものが送られて来る。こんなに「商売」は楽だったのか! と驚く(皮肉がこもっている)
その後、フルタ製菓といざこざとか、税務署の査察のいざこざとかの話があり、(密告で査察が入ったけどなにもモノがなかった。税務署ざまあみろ)
現在に至る。
(タンクミュージアムも売れたけど、お菓子がなかったら売れない。捨てるようなラムネだけどあれがあってはじめて売れる。これは謎ですと言っていた)
食玩で、販売数が100万とかのレベルになる。
「かつてプラモデルを作ったらバカになるって言われてた。しかし、いまの人はプラモもよーつくらん。完成品でお手軽やから売れてるんや」
レジンの頃は、「自分で塗るわけで、作りたいという客を相手にしていた」
しかし、「アクションフィギュアで、コレクターを相手にする商売にしたら、市場が楽に10倍になった」
(このへんには、コレクターという人種が「ぬるい」ために多いという皮肉が強くこめられていると思った)
面白かったのが、途中でのライターのコメント
「タイムスリップグリコ」の「冷蔵庫」で「CADのようにそのまま縮小したら、冷蔵庫のパッキンなんかは0.01mm以下になって無くなる。
しかし、この食玩の冷蔵庫は、そこがスケールを誇張して拡大してある(そのまま拡大したらおかしな冷蔵庫になるだろう)
そこが海洋堂のウマサで、冷蔵庫のキャラとしての特徴を誇張している。
これはマニアなモデラーはむしろ気付かないことで、「女子高生とかが(リクツではなくて)肌で感じて、面白いと思っている
(45%がタイムスリップは女性客が買っている)
これと同じ趣旨のことをアニメーターの大塚康生さんが「海洋堂の玩具」は似顔絵なんです。写真じゃありません。
と語っていた。