赤ん坊は『対称性を見ている』
のかもしれない
http://www.asahi.com/science/update/0623/001.html
これは面白いな。次のようなものをメモしてみた。
イメージを左右反転して、互いにANDをとると、
左右対称なもの以外は消滅する。
これは「顔の認識である」
さらに、
できたイメージと元のイメージで、
XORをとってやる。
これは「表情の変化」である。
対称性といえば、六角大王の終作のニュース
http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/prom/253834
古書店で、安野光雅さんの本を数冊買ったので今、読んでいる。
だいたい80年代の文庫。
なんで、幾何学的に自然や科学やものを見ることをしてみたいと思っています。
数学で、公式を習うと、「たしかにそれを使って問題を解ける」ようにはなるけれど、
学者が「公式を発見した」時の「驚き」や「喜び」はそこから抜け落ちます。
道具のように学ぶのも時には必要だけど、その「驚き」が創造性であり、
創作物を愉しむのは、その「驚き」を「体験する」ためである。
みたいな感じに、受け取った。
「創造的」というと「いかにも新規な新しい」とばかり考えるけど、
「既に行われた創造的な驚き」を「追体験」する。
ことも充分に意義があるし、むしろもっとやるべきだと思う。
子供が日々、発見の連続をしているのは、このような作業で、
大人になったからといって、それを辞めてしまう必要は無いと思う。
たとえば、Prologで微分積分を記号的に解くプログラムを作ってみる。
微分積分なんて、日頃使わないし、もういいよ。
といわずに、やってみる。
そこにはまだ、「追体験的な驚きや喜び」がまだある。まだ感じられる。
自分がしてみたわけじゃないけど、
http://d.hatena.ne.jp/agzmtr/20021205
のようにやってみてる人をみると楽しそう。
安野光雅さんの「旅の絵本」という本を持っている。
小学生のときに担任の先生から頂いたのだった。今、思うと先生はなにを考えてこの絵本をくれたのだろう。
「部分をみつめる」「全体は部分の集積でできている」「瞬間は見えない」「自然は芸術を模倣するという錯覚は素晴らしい」「絵は窓である」