対象性の破れ

NHKの爆笑学問にノーベル物理学賞の益川先生が出ていた。


番組で説明していた概念は


研究当時、まだクォークは4つしか発見されていなかったが、
ビッグバンがおきてすぐの頃。
クォーク電荷がプラスとマイナスで打ち消しあうのだけど、
4つしかないと全部打ち消しあってしまうので、この宇宙がそもそも存在するはずがない
ということで、風呂で「なら6個あれば?」と思いついたそうです
6個あれば、関係性が複雑になって、消え残りが出てくるそうです
(どうしてそうなるのかは、よく判らない。ググれば解説してるところはあるだろうけど
 将棋で4駒の攻めは切れないというけど、対象性の破れと関係があるのかもしれないw)


この宇宙すべて。われわれ人類も含めて、この消え残りの子孫だそうです
対象性が破れて、消え残りが、この宇宙を作っているってことらしい
もし、対象性が破れてなくて、正負が打ち消しあっていたら、
この宇宙は無であり、そもそも何も存在しなかった。ということらしい。


趣味は読書(数学)となっていた。
数学なら102だろうと3だろうとどっちでもいいけど、
物理は4なのか6なのかに違いがある。結局、現実はどっちなのか?を表すから
といったようなことを仰っていた。
ここで、大田お得意の「夢で先生と話したことと、昨日先生と話したことはどっちも自分にとっては同じで」
とバーチャル妄想な話を始めた
物理学者にそんな話しても仕方ないでしょう。
妄想の意味を決めているのは主観で、そもそも意味というものには主観がいる
一方、物理は客観だから(観測者がいるにせよ。その観測者も客観性を持たせようという信念?)
夢も、昨日の記憶も結局は個人の頭の中にあるといえば同じだけど
「でもこれはそこにありますよね。だからそれは検証できるんです」
と本棚を指していた。
大田が死のうが生きようが増えようが、益川先生の本棚の本は「そこにある」
本棚があることを証明するのではなく、本棚がどのようにあるのか問うこと?


主体と客体の二元論だけど。本質的に証明は不可能としても、物理学の人はそんなことを問題にしていないんでしょう。
要は、仮定を実験が証明してくれて、仮定がより現実に迫っていく、その過程が大事なのでしょう
主体と客体の関係とかの問題は数学なのかもしれない。


将棋のルールというのは人工的に作った物理かもしれない。