『オタクはすでに死んでいる』について

http://news24.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1210414975/-100

オタキングはすでに死んでいる

「新製品の発売を待つだけで楽に快楽を得ようとし、自分の好きなジャンルから少しでも外れると関心がない。 
消費するばかりの存在。かつてオタクが共有した価値観は失われたのです」 
 岡田さん世代のオタクは、世間の多数派とは違う「好きなこと」を自分で掘り起こし、世間の目に対抗する 
知性と精神力を備え、社会人生活も営んでいた。実は強い自負心と社会性を持つ「貴族」だったのだと。 

別に本まで買いたいとは思わないけど、言いたいことは判るような気がする。


ただ、このへんの話は、岡田さんが別の著書で、海洋堂の話を書いていたときに、


もともと海洋堂は、全然、商品が売れなくて、そこで、中国で完成品の人形のトイを大量生産して
売り出したら、バカみたいに売れて、バカみたいに儲けて、商売って楽ジャン!
みたいなエピソードを紹介していたと思う。


モンド研究所・平成オタク談義「海洋堂
http://d.hatena.ne.jp/mkomiya/20030801/p1

 エヴァブームで、レジンが3000個売れて、従来の10倍に成長(エヴァブームでもたったの3000個ですよねと岡田さんの突っ込み入る)

 その後、バカにしていたアメちゃん(USA)のアクションフィギュアを「悪意をこめて」真似をしてみたら、

 北斗の拳やらデビルマンが三万個売れて、市場がさらに10倍。(悪意で作ってたんですか?と岡田さんや唐沢さんからつっこみはいる)



 (レジンでは型をつくっても50個しかキットがとれない。しかし、アクションフィギュアはFAXすれば、二ヵ月後に中国から2万個ものが送られて来る。こんなに「商売」は楽だったのか! と驚く(皮肉がこもっている)



結局、プラモは作る苦労があり、色を塗る苦労があり、そういうことは一般大衆はやらんわけですよ。
昔は、プラモは組み立てるのが当たり前だったんで、自分が子供の世代は
行列作っててもガンプラ作ってたけど、
今はリボルテックを買ってきて、並べたらそれでいいわけですよ。
組み立てないでいい。塗らないでいい。ポーズも作れる。値段も安い。お手軽。



結局、そういう売れる路線に走ってるのは海洋堂とか、オモチャメーカーじゃないのかなあ?
お互いに問題があるかもしれないけど、別に消費者は苦労したい訳じゃなくて、
楽しければいいんですよ。
確かにプラモを作ることきわめて、改造法を覚えて、雑誌に写真を投稿したり、プラモ屋で飾って貰ったら
幸せですよ。でも、誰でもその域には行けないもの。



パソコンもそうですよ。私が小さい頃のマイコンって行ってた頃は、ゲームをしたいなら
自分で作るか、雑誌でコードを打ち込むか、どっちかですよ。
マイコン=プログラムを作るための機械


これは、マイコン=ゲームを買ってきて遊ぶための機械
に変質したのは、MSXから始まったと自分は思うんですが

自分の好きなジャンルから少しでも外れると関心がない。 

 こんなの昔からそうですよ。
 逆に、オタクじゃない、一般人も、オタク趣味に関心を持たないわけでしょ? どっちもどっちじゃないですか?
 おたくって相手を呼ぶ行為が既に、コミュニケーション不全症候群みたいな話を、中島梓が15年ぐらい昔にしてたし、


 岡田さんは消費者じゃないとしたら、なんだろう。評論家って何?
 クリエイターの作品を批評することで飯を食べる人?


 オタクが能動性を失ったと言うより、主流となる作品が分散化して、趣味が分散化して
 求心力を失って、本当の意味で分散化したので、ものすごく受動的になったように見えるだけのような
 気もするけど、それって動物化って話か……


 ただ、ニコニコ動画みたいな場があれば、能動的になれる面もあるわけで
 ただ、作品を作る側と受ける側が完全に分離してしまってるのは嘆かわしいということなのか?
 それって単に老いたんじゃないんですか? みたいなことは思わないでもない。