web2.0は並列処理で動物化で個人のストーリーは抜け落ちる

http://d.hatena.ne.jp/satos/20070218#1171761233

うむむ。web2.0を並列処理と考えたことがなかった。
目からウロコでした。


確かに、web2.0は既存の権威を否定して、ユーザー参加型のように言われていますが、
大量のユーザーによる並列処理は、大きな物語を否定するがゆえに、
個人のストーリーとは相容れない。
>Web2.0の申し子たるWikipediaが、学問権威と対立しがちなことが、この推論の傍証となるだろう
確かに。
先生の思想を弟子から弟子への語り継いでいく面々とした大きな物語こそが、学問権威
誰が書いたかも分からないようなWikiPediaは内容が新しく、そこそこ正しいとはしても、
学問権威の系譜とは完全に対立している。


なるほど。なるほど。
結局、ユーザー参加型でひとりひとりの民主主義が実現されているように見えるけど、
実のところ、一人一人は、並列処理のための、ネジになってるだけかもしれない。
神は死んだと、昔、ニーチェは言った。
ユーザー参加型というのは情報を上方から垂れ流す権威に対する恨み=ルサンチマンの現れかもしれない。
厳密に考えれば、ユーザー参加型は平等主義に見えるけど、実のところ、人間は、
権威になって称えられたいと思ってはいないだろうか? 人間心理としてはそっちが正しくないか?
それは人間だけでなく、動物だってボスになりたがる。猿とかライオンも。
と考えると、ユーザー参加型は、権威を否定するがゆえに、
大きな物語を描いて、一つ一つ階段を上がってゆくモチベーションを人間から奪うかもしれない。
ブログ書いて、モチベーションを発散すれば、書いて認められたいという気持ちは薄まるはず。
同人誌で満足すればプロも目指さない人も出てくるだろう。


シリアル処理は、フォン・ノイマンボトルネックにぶつかって、クロック周波数も上がらない
ゆえに、コアを増やす並列処理へCPUもまい進中。
web2.0の成果は、多数のユーザーが少しづつ仕事をして、それを統計的に束ねられる。
むかしなら、シーケンシャルに、綿密に正確に時系列にやっていた処理が、
多少いい加減な少量の個人の仕事を束ねて、実行される。


考えてみれば、
ソーシャルブックマークweb2.0だが、個人ニュースサイトweb1.0的な存在。彼らはニュース集めの巨人だから。
しかし、ソーシャルブックマークにもアルファークリッパーみたいな概念があるので、
あながち個人のストーリーが全部抜け落ちてるわけでもないような気がする。
不特定多数の大量の人間がYouTubeに動画をあげるけれど、
しかし、面白い動画の元映像を作っている人間は確実にいる。



>オライリーはWebはArticicial Intelligenceになると言っているけど、それはないってことだ。WebはArfificlal Wisdomなのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/paraselene/20070218/1171754243

うーむ、賢さと頭のよさの差。
wisdomとIntelligenceの差。
無理やり将棋やチェスとつなげると、


大量の量は、質に匹敵する。もしくは上回る。
並列処理の量のパワーは、人間のチャンピオンと並ぶ。
と言われてますが、
ものすごく賢いから、頭が良いと言えるのかどうか?
将棋なら勝ち負けが決まるが……