アニメでプロより学生が現場に出るのは

http://artifact-jp.com/mt/archives/200306/proamateur.html

 つうことで、やけに日記のカウンタが回るなと思っていたら、リンクされていました。
 
>士郎正宗氏が『ブラックマジックM66 絵コンテ集』で『どうも漫画や映画の世界では「軍やポリスは無能なもの」という密約があるらしい”と書いていて、確かになーと思った記憶が

 確かにそんなこと書いてました。
 送り手=左翼
 だったので、体制=悪
 だったという図式も、宮崎駿系の本で読んだ記憶がありますね。
 たしか左翼で教員みたいな人たちがアニメの製作現場に多く入っていて、
 そのことが「内面的な深み」になっているみたいなことだったかな。
 アニメで子供向けに見えても、やけに「政治的」な話とかが多い。
 逆に、今のアニメはそういう左翼崩れじゃなくて、オタな人たちになっているので、そういう面では内面的にかなり変わっていってるはずですよね。


 ミステリーも、探偵が警察をからかうのが常道だし、
 体制側を主人公にした警察ドラマでも、体制の中で異質な集団が主人公になることが多いですね。っていうかほとんど。


 士郎正宗のM66の絵コンテのあとがきに、さらに
 「素人を自然に物語の主流に置くのは難しい」
 「プロだと手際よく処理してしまう」
 のようなことが書いてありました。
 そういう意味では、素人が主人公の方がドラマがより成立するし、
 学生とか弱者が中心の方がドラマになる。
 というのは確かにそうだと思います。
 あと、相撲とか柔道とか、小さいものが大きいものを倒すのを良しとする文化がありますよね。アニメ以前に。
 たしかに感情移入としてみても、移入しやすいですし。


 学生や若者に戦争させる状況を作り出すために不自然な設定をこじつけるぐらいなら、
 そんなもん始めにありきでいいじゃん。みたいな感じもあるのかな>ステルヴィア
 選抜とかでも。光太が選ばれたときは「その成績とか」考えれば、
 もうちょっと「素朴な疑問、嫉妬とかねたみ、やっかみ」が噴出するのが当たり前と思うんですが、そういう気持ちが全然見えなかった。
 それでいて、宇宙酔いで保健室で寝てる自分の状況には涙を流したりして、なんか心情の描き方がちぐはぐ? みたいな気がしました。
 自分が劣ると思うことには我慢できないけど、他人が成功することにはわりと無関心みたい感じかな……。


 そういえば、M66が出てきたので、いまだによく判らない疑問。
 M66のアニメの冒頭の
 ヘリ→森→探索→発見→無人→暴走
 ってこれって、パトレイバー劇場版の冒頭とそっくりなんですが、
 M66は87年だから、押井守がパクッてるのかな?
 (自分としては似すぎだと思う)