『宇宙のステルヴィア』11話まで視聴

 しーぽんが受けているのは判るけど、やっぱSFである力だと思う。
 SFって避けられてる面もあるし、冬とも言われてるけど、
 これがただの学園ものならここまでしーぽんの人気も出ないと思う。
 そういう意味で、SFは地雷にもなるけど、当たるとデカイ要素は健在と思う。
 ハリウッド映画でも、結局大ヒットしている作品は「SF」であることがほとんどだし。
 もし仮に、このくらいの世界観とキャラとストーリーの話しを、オリジナルでラノベ小説で書ければ、素晴らしいと思う。
 今のラノベは「悪魔」とか「天使」とか、SFとは遠いものが主流で、その面でずいぶんと寂しいと思う。
 簡単にはSFが書けない時代ではあるけれど。それなりにリアリティ要求されるし。


 途中までしか見てなかったけど、いま録画済み分まですべて観た。
 簡単に思ったことを書いておく。


 ありさって役どころてきにはあずまんが大王だと智ちゃんだよね(声優は松岡さんだけど)
 はっきりいってオチこぼれだよね
 空元気で、くちばっか元気。
 でも、そんな自分が人の役にたった
 応援ばかりじゃなくて、役に立った。嬉しい。
 こういう心情ってでかいよね。これはドラマ的に絶対美味しい。


 全体に、男の子が全然元気がない。添え物だよね。
 世の中のアニメっていつからこうなったんだろう?
 男女の役割が昔と比べて逆転してる。


 インフィというロボット。
 あれって造形がエクザクソンにそっくりだけど、(役どころ的にはバスターマシンというのもあるけど)
 しーぽんがコパイロットで、完全にファティマ状態だよね
 光太だっけ?
 急にひょっこり、いきなり出てきて
 これって完全に主人公じゃん? しーぽん補佐だし。
 馬鹿やってるコミュニティに日頃参加してるわけでもないし
 それはダメだろ。次回予告のキスシーンで騒ぐのも判るけど、
 この時点で、すげー違和感。とんびに油揚げって感じ。


 ストラトスフォーと比べると、時期的に偶然と思うけど、
 構図とかドラマ展開がすごい似てるよね。
 (っていうか最近は隕石を敵にみたてる作品が多い。敵が作りにくい状況を反映しているんだろうけど)
 S4ははじめから隕石はがんがん降ってくるけど、
 ステルヴィアは10話ぐらいまで引っ張って、『最後にこれが』的に盛り上がるんで
 ドラマ的には断然こっちが強い。
 S4はそこが弱かった。だから最終回がかりん救出に終始して盛り上がらない。


 しーぽんが罰でレンズ磨きをやらされるシーン。
 あれって「トップを狙え」へのオマージュですかねえ(^^;)
 罰だからいいけど、ああゆうだだっ広い平面の掃除は、ルンバなどのお掃除ロボットが得意そう(障害物無いし)


 あとハリーポッターの影響。
 運動会のアストロボールとかかなり美味しいところを受け継いでる感じだね。
 ステルヴィアとかウルティマとかファウンデーションが、ハリポタでの班別けに相当してる感じ。
 ただ、班毎の連携とか世界的広がりは、ハリポタの方がもっといいと思う。


 あと見てて思ったけど、
 普通、この手の話は『親が司令長官』とかそういうひとが必ずいるはずなんだけど
 りんなも含めて全部親が普通だよね。いわゆる二世が一人もいない。
 これは逆に今風なのかもね。
 りんななんか富野式ドラマだと、いきなりしーぽんを刺すようなキャラだと思うんだけど、
 ただの仲良しさんになってるね。
 ビッグ4の先輩がそういうキャラを引き受けてる感じか。


 しーぽんについてだけど、
 プログラム作るのが上手いってのはわかるけど、
 なんであそこまで操縦が神がかり的に上手いんだろ?
 (すべての情報を受け入れようとしてパニクって、へたに見えたってのは判るんだけど)
 なんで、あそこまでできるんだ? 翼君とか岬君並の能力だよね。
 操縦だと、反射神経とか、状況判断とかコーディングとは違う能力がいるわけで、
 はっきりいってあそこまでできると天才だよな。
 普通ならあそこまで露骨な天才は、周囲から浮いてしまっていたはずなんだ今までは
 特に富野式ドラマでは。


 S4でも思ったけど
 キャラが高校生なんだ。シーポンたちは予科だから中学生レベルかもしれないけど。
 で、大人たちが全員OBなんだ。野球解説者。すでに当事者じゃない。
 肝心のプロ野球選手が一人もいない。
 「学生だから」っていうけど、
 隕石が来たら「学生が』行くんだ。
 職業軍人という存在を避けてる。
 避けることで、闘いから逃げてる。学生に戦争をさせる状況に逃げてる感じがする。
 教官が昔の自分のかなえられない夢を学生に重ねるのは仕方ないけど、
 それだけだと感傷的過ぎる。
 上を向いてる学生と、下向いてる教官しかいない。肝心の前向いている職業軍人がいない。


追記


 コメントを頂いたので、光太について追加。


>光太に関しては捉え方に一部見逃されている点があるかと思います。
>光太は絵的には地味ながらも、コミュニティには加わっています。
>話によく聞く、発言は少ないけど一緒に行動する、という感じです。
>(確かにバカはやっていないので目立ちませんが)
>ただ、11話迄には時々、学園長が光太の事を気にするシーンがあります。
>そして11話から12話(?)のしーぽんを助けるシーン等が今後の展開への布石の様にも見えます


 光太に関しては、唐突に話の前面に出てくるとか、主に演出上の違和感は感じますが、
 そのキャラの役割については「かなり好感を感じてます」。
 このキャラは、宮崎駿の作品で言うと、
ナウシカでの森の人」「千と千尋で言うならハク」に相当するんじゃないかと思います。
 伏線とか教授の言葉なんかを考えれば「オールC」に見せかけてるけれどいしーぽんやビッグ4でも全然かなわないほどの実力者というのも判ります。
 要するに、爪を隠した能ある鷹ですね。
 なにかあるごとにしーぽんを影から助けたり励ましたり、助言するのも、ただの恋愛感情だけより、しーぽんを導き育てようという意図を感じさせます。


 ただ、自分として違和感を思うのは、その演出ですね。
 森の人やハクは、あくまで「擁護者」「観察者」であって、物語の主流には出てこない。もし主流にもってくるならば、もののけ姫のアシタカ並の扱いをしないと、要所で、「しーぽん」より前に出てこられては、見てて困ってしまう。
 あと、「才能を隠している」なら「昼行灯」のように徹底的に「日頃は馬鹿」をやって、ことあるごとに「こっそり」才能を発揮するエピソードを繰り返すか、
(これは必殺の主水や、パトの後藤隊長もそうだけど。)


 もしくは「森の人」のように「目で表現する」とか。
 どんなに普通を装っていっても「一般人ではない」「目の眼差し」を持っている。普通から漏れ出してくる「普通ではない何か」。このへんが演出だと思う。
 森の人にしても「この人の目は王族のように澄んでいる。その視線は遥かに向こうを見通している」みたいなことをナウシカに思わせて、演出しているわけで。


 そのへんの演出が足りないのに「教授や学園長」だけが「やたらと尊重する」のは、「たんに贔屓されている」という気持ちしか、登場人物たちにも、見ている視聴者にも思わせない。
 このことが、光太の突出への違和感や憎悪に連結しているとも思います。
 ただ、光太のようなキャラはいたほうがいいし、私は好きです。