ゲームやっててつい徹夜(´Д`;)

いろいろゲームやってたら朝になってしまった。
さっきまでサンデージャポン見てたけど、
今は、NHK BS-Hiで、大リーグのマリナーズとロイヤルズの試合を見てます。
城島が三塁ランナーをうまいことホームでタッチアウトに仕留めた(笑


昨日、新宿で友人で集まりましたが、解散後、単独で秋葉へ行って、帰りに中野で降りてブロードウェイも巡回。
安めの中古ゲームを買い込む。

THEタクシーというのをやったけど、こういうのをやりたかったんですよね。普通に町を走れるの。
GT3やってて不満だったので(でも裏技でガードレールの隙間から出られるらしいけど?時速300キロで)
逆送しててもパトカーはいないので大丈夫だけど、やはりお客さんを届けるという目標があると面白い。
これで、信号とかあって、歩行者が横断歩道を渡ってたり、もっとリアルになると、自動車学校でシミュレータになる(w


SIMPLE2000シリーズ Vol.32 THE 戦車

SIMPLE2000シリーズ Vol.32 THE 戦車

THE戦車も、操作性が悪いとネットでは言われてるみたいだけど、霧がうまく再現されてるし、樹木の表現もしっかりしてるし、なかなかいいと思います。
さらに改良されたTHE戦車がPSP用に出ているみたいですが。


あとは取説なしで安かった「熱チュープロ野球2004」も、最新作と比べるとポリゴン少なめに感じるけど、
まるでTV放送のような演出はすごいなあと思う。ダイエーホークスVS西武ライオンズでやってたら、24対0負けた(汗
和田→新垣→篠原の継投だったが(汗
練習しないとだめですね



ランブルローズ Rumble Roses
あとkonamiランブルローズを買った。DOAみたいな感じで、女子プロレス。でもそういう感じではなくて、米国のショーな感じ。たしかXBOX360でも出てますね。
PS2だとポリゴン1万、XBOX360は5万らしいので、かなり差があるけど、PS2としては、かなり滑らかな人体のラインを表現してるなあと感心する。声も堀江由衣とか、豪華声優陣らしい
私は格ゲーの技が覚えられないんですが、このゲームは、攻撃ボタンと相手をつかむボタンの二つで基本的に操作できるので、簡単でいいですね。それでいて動きは派手だし。


あとICOが1000円で買えたので、いづれやろうと思う。ワンダと巨像は、D2プログレッシブ対応みたいね。
GT4は、1080iでるらしい。PS2でもハイビジョンは可能なんですねえ。
あと、ギャラクシーエンジェルEternal Lovers(PS2)も買った。

みんな出て時間のたった中古だからたくさん買っても安くて済みますね(´▽`)


さて、三時間ぐらい寝て、なにか作業をしましょうかねえ

QMA3

中野でカードを作ってるので、母校は中野のゲーセン。
母校で昨日はプレイ。
途中から並んでたので5,6回しかできなかった。エルフ組にあがると、一門多答という4つから正解と思うものを
複数選べ問題がよく出るみたいで、これだと偶然とかカンが通用しないので、難しい。
このへんくると決勝にすらなかなか行けず、0点で敗戦も。けっきょく1度だけ優勝できて、中級5級→4級
でも、ホビット組に落とされた。
もう自分的には限界になってきたかも。
QMAのキャラクターの顔ぶれはガンパレードマーチと似ていると思う。中国人っぽい娘はGPMにはいないけど、偽大阪人はいたし(w

ハルヒポータルから拾われる

http://homepage2.nifty.com/kugo/

ハルヒ動物化の関係の話が拾われてた(・∀・)


東さんも今度評論でラノベを取り上げるときは、ハルヒに注目するべきと思いますよ。
動物化するポストモダン」だと、
同人誌とギャルゲーの関係を、データーベース物語消費とか、
デジキャラットでじこを、萌え記号の塊とかいう形で評論してたわけですが、
大塚氏の物語消費論もそうだけど、
もはや、フェーズは、物語を消費する消費者主体という話ではなくて、


大きな物語解体の時代の、擬似大きな物語構築を、作家と読者と作品とキャラクターが同列にやってる状態じゃないかと。
昔言われてたラノベの定義として、作者と読者の目線が同じところにあるというのを、
旧来のジュブナイルとの差とする考え方があったと思いますが、
むしろ、作家と読者と登場人物が同じ目線を持ち始めたんんじゃないですかねえ?
いや、そんなのクリエイターは意識してないかもしれんけど、そういう時代の流れじゃないかと。
消費者が何を選ぶかも、それは進化の一部だもん。


たとえば、QMAには大きな物語はない。ハリーポッターには、ハリーの両親とかハリーの生い立ちとか「大きな物語」の残滓がある。
たとえば、ギャラクシーエンジェルには、大きな物語は無い。エンジェル隊は、ロストテクノロジを探す任務を帯びているが、そんなものはギャグのひとつに過ぎない。
機動警察パトレイバーが好きだったには、あの話には「大きな物語」が無かったから。
主人公と言えるほどの主人公はいず、戦うべき大きな敵もいなかった。なのに巨大ロボットが存在できた。
グリフォン編から旧来のロボットアニメみたいな枠組みになってしまってのでつまらなくなったけど)
なぜ好きなのか。なぜウルトラマンは怪獣と戦っているのか? 押し付けられる大きな物語は、様式美である。
その押し付けられる様式美が無意識にイヤだった。
ガンダムは、正義の味方であるはずの連邦軍悪の枢軸であるジオンを、ひっくり返せるものだと描くあたりが、
ある意味、うそ臭い大きな物語の押し付けと戦っていたような気がする。そもそも海のトリトンの最終回は(以下略)な
あたり、富野さんはそんな人なんではないかと。


徹夜でゲームしてた頭で考えると、
それまで自分語りに傾斜した、文学化した少女漫画=私小説に変わって、セーラームーンは、多人数キャラがそれぞれ自分語りをする多次元の私小説モデルだった、みたいなことを大塚さんが書いてたと思いますが、
物語の構造は、個人から、いったん全体に分散し、また個人に回帰しようとしている? ハルヒを中心にするように?
しかし、それは過去の自分を語る私小説としての個人ではなく、まったく無かった
新しい形を、物語を表現する手法として、今、生み出されようとしているのではないかなと。


しかし、現在のギャラクシーエンジェルは、もはや「ギャラクシーエンジェル」ではない。
ギャラクシーエンジェルは死んだ。かつてでじこが死に追いやられたように。
ブロッコリーが憎い。